このblogでは目についたモノ、気になった事柄を左官の目線で分析をしていきます。
too fast to live,too young to die
特集記事 ブラタニ
鬼のキューピーちゃん
たった三年だが、私が塗装の職人さんとして勤めていた時の社長(以降親方とする)。
フォルムは、「キューピーちゃん」の様だった。
ラジオペンチで、鼻毛を抜くのが最高に気持ち良いらしい。なので、運転席横には常にラジオペンチ。
ある日、マナーの悪い運転をする人に遭遇した。(今で言う 煽り運転)
「こーいう人には注意してやらないかんなあ」ボソッと親方。
モンキーレンチ片手に(ラジオペンチではない)車を降り、その車に向かっていく。私は車内にいて問答は聞こえなかったので、私が見た光景を説明する。
親方いきなり、車によじ登り叫んでいる(大型トラックだった)。モンキーレンチでドアを殴りつける。ドライバー降りてくる。で、揉み合った結果、、
ドライバー土下座する。
イマイチ臨場感に欠けるが、体験したことの無いタイプのバイオレンスだった。
勤めていくうちに段々わかってきたのだが、その愛らしいフォルムとは裏腹に、かつては相当悪かったようだ。親方のお母さんから聞いた話だが、あまりに手に負えないので寺に預けた事があったらしい。
脱走したそうだ。
親方のところで働いていると言うと、地元の飲食店では皆「ツケで良いよ」って言ってくれた。それくらい顔が効いていた。
親方は若い頃「鬼の〇〇」と呼ばれていて、地元界隈では相当だった様だ。
すごく優しい人だった。生活面の事も、いつも気にしてくれていた。仕事でも、汚い仕事 危険な仕事 臭い仕事など、率先して自分でやっていた。
何より男気があった。
そんな刺激的な毎日を送っていたが、自分がこの技術職をずっと続けられるのか?と
不安を感じていた頃に、親方の得意先の会社から「うちで営業やってみないか?」と誘われた。親方に相談した。(私が誘いの言葉をかけられる前に、親方にも打診あった様だ。)
「ウチに沢山仕事まわしてくれよ!」って、ニコッと笑って言った。
切れ者
新たな会社に勤め始める。
そこも塗装業であったが、今度は職人さんではなく営業としてスタートした。
営業といっても新規営業では無く、既存の顧客に対しての窓口である。
もっと言うと、私の仕事は「現場管理」がメインであった。
社長は、実に頭の切れる人であった。
自分に厳しい人だったが、周囲の人たちには更に厳しかった。覚えている限り、全ての事において「良し」と一言で済んだ事は無いと思う。
毎朝のミーティングが憂鬱だった。何を言ってもダメ出しされ、少し反論すると全て「言い訳だ」と一蹴された。また、人前で恥をかかせて教育するタイプの人だった。よく続くもんだと、「親戚なのか?」「よほど良い給料もらってるのか?」と噂された。
十二指腸潰瘍で二度ほど倒れながらも、辞めようとは思わなかった。辛かったのだが、社長は「間違った事は言っていない」と感じていた。何より「辞める」が「逃げる」と、当時は思っていた。
なので「良し!」という一言をもらいたいためだけに続けていた。
十年もすると、ある程度の事を覚え仕事にも自分のカラー(意志)がでてきた。ただそのカラーは、社長の「良し」に繋がるものではなかった。
「退職」の意思を妻に話した。「十分やってきたと思うよ」って言ってくれた。
その晩、何故か私は坊主頭にし、翌朝社長に思いを告げた。ただ一言「わかった」と、少し寂しそうな笑みを浮かべた。
次の勤め先を決めずに退職したので、派遣社員的な仕事をしながら、しょっちゅうコンビニで求人誌と睨めっこ。ある日、とある求人欄に目がとまった。募集期日は本日付けだった。慌てて電話した。今夜面接してくれるとの事。約束した時間に大幅に遅れ会社に到着。真っ暗だった。
不安ながらインターホンを押す。社長が出てきてくれた。私は派遣先の作業服のままで、履歴書も書く時間が無く持って行けなかった。そんな私でも社長は面接してくれた。社長は何か私に逼迫感を覚えたらしく、訳を聞いてきた。私は塗装職人の頃から今に至るまでの話をした。過日採用の連絡あり、新たな会社での日々が始まる。
「キチッとする」
左官屋さんの会社である。営業兼現場管理として採用された。社長は「ひらめき型」だったと思う。
「朝令暮改」という言葉を、よく使っていた。「一隅を照らす」という言葉も、好きだった。
何より社長席の背面に「キチッとする」と、自筆で額に入れて飾ってあったのが、超インパクト。
前職の社長の感じが私の中に残っていたので、最初は「ひらめき型」に戸惑った。だが日が経つに連れて、その「ひらめき」による営業力の素晴らしさ、企画力の斬新さに惹かれた。
何より、自分の感覚を信じる姿に魅力を感じた。また、社長のまわりには不思議と人が集まった。人間力なんだろうと思った。私は最高の会社だと思った。
職人さんたちも若い子が沢山いて、皆良いヤツだった。ずっと続いて最後に俺は、ここの社長になる!って思ってた。
でもそうならなかった。
年月を重ねるうちに、私は経営面にも触れる様になっていた。会社の内面を知っていくに連れ、このままではダメだと思い何度も社長とぶつかった。
最後社長は信念を曲げてでも踏ん張ったのだが、、、
その時は来てしまった。その後社長とは何度も会った。その度に社長は「迷惑かけてごめんな」と言った。当時、まわりの方には色々良くしてもらった。
夜遅くまで、今後について相談に乗ってくれた方。ウチに来いよって誘ってくれた方も、たくさんいた。私は当時の職人さん達と相談し、皆で独立すると決めた。
心配させたく無く、独立した事を妻に話せずにいた。(幸い家計は私が管理していて、妻には食費+αで現金で渡していたので、それが滞らなければ妻は全く分からなかった。)
何ヶ月が過ぎたであろう、どうしても妻に話さなくてはならない状況になり、とうとう、会社が倒産し今は独立して仕事をしている事を伝えた。
妻は言った「ということは、社長さんになったって事?」と。
社長たちへ
塗装屋さんの親方には、やさしさと男気を。
次の塗装屋さんの社長には、現場の段取りの大切さと、仕上がりのセンスを。
左官屋さんの社長には、信念と生き様を。
感謝の気持ちを表すのに、どんな言葉も足りないけれど、、
まだまだ、あなた達の様にはなれないけれど、、
社長たちへ
私は、あなたたちで出来ている。
Living is precious by itself
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